リトアニアの文化遺産「スタルティネス」を紹介

  • 2019年12月31日
  • 2022年5月11日
  • 歌と歴史
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Laba diena!こんにちは。

合唱という切り口でリトアニアを見てく、Lithuarythm〜リトアリズム、いよいよ本題に入っていきます。

リトアニアの合唱の話に入る前に合唱の歴史についてお話します。

日本をはじめ世界各地で愛されている合唱ですが、その歴史については音楽の授業であってもなかなか触れることがありません。

ヨーロッパを起源とする西洋音楽においての合唱は、ローマ・カトリック教会で用いられていたグレゴリオ聖歌からはじめります。

グレゴリオ聖歌とは、9〜10世紀にかけて東西ヨーロッパに住んでいたフランク人の居住地域の教会を拠点に発展を遂げた宗教音楽です。教皇グレゴリウス1世が編纂したと言われていることから*その名がつけられました。

グレゴリオ聖歌は教会で主に男性または少年合唱によって、また修道院の修道僧(修道女も含む)によって歌われてきました。合唱といっても単旋律(別名:モノフォニー)という一つの旋律をユニゾンでうたっていました。9世紀後半になるとオルガルムと呼ばれる多旋律(別名:ポリフォニー)へと発展していきます。無伴奏での演奏が基本ですが、ポリフォニーになってからはオルガンが伴奏にはいるようになっていきます。

グレゴリオ聖歌

グレゴリオ聖歌

聖歌は神に祈りを捧げる儀式において歌われていた音楽です。十字軍侵攻やペストの流行などから不安を取り除くため、人々は日々神に祈りを捧げていたのでしょう。

教会音楽として発展していった合唱ですが、歌文化は教会の外にもおこっていました。

中世の時代、リトアニアの土地には農民が多く暮らしていました。キリスト教がリトアニアに入ってきたのは、14世紀後半。リトアニアは、キリスト教が伝えられてきた最後の土地の一つです。キリスト教文化を厳格に守っている西ヨーロッパとは異なり、リトアニアにおいてのキリスト教文化は、元々リトアニアに根付いていた自然宗教とキリスト教を融合したような独特な文化が大きな特徴です。

 リトアニアの文化と融合する形で定着したキリスト教は、リトアニアの人々に音楽も伝えました。こうして人々に伝えられた歌は人々の生活の中で息づいていきます。

ここで紹介したいのがリトアニア発祥の音楽形式、Sutartinėsスタルティネスとよばれる多声音楽です。

リトアニア語で「同意する」「調和する」という意味を持つSutartiが語源となっており、2~4の声部に分かれ、同じフレーズを時間差でずらして繰り返し歌う形式の音楽です。

主にリトアニアの北東部、アウクシュティア地方の村で主に女性によって歌われていました。歌の内容は日常、また戦いに行く家族を思って歌ったものなど、当時のリトアニアの人々の生活の様子を歌の内容から想像することができます。

スタルティネスは、ユネスコの無形文化遺産に登録されており、リトアニアの合唱文化において欠かせない存在です。

こちらはリトアニア伝統合唱曲を歌うユニットTrys Keturioseが歌う「Dūno upe(下る川)」。最初に現れるフレーズが高音部、低音部と少しずつ展開していきます。ステルティネスの構造がわかりやすく現れた曲です。

Trys KeturioseはYoutubeでいくつかスタルティネスの曲を聴くことができ、CD、DVDを入手することが可能です。

なかなか独特な雰囲気を醸し出す合唱音楽でありますが、この形式はこの後登場する音楽や現代の曲にも取り入れられることがあり、リトアニアの音楽を見ていくうえでとても重要なポイントとなっています。

*諸説あり。カロリング朝にローマとガリアの聖歌を統合したものという説もあり。



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