リトアニアの芸術家 チュルリョーニス

  • 2019年12月31日
  • 2022年5月11日
  • 歌と歴史
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Labas rytas!

合唱からリトアニアをみるブログ「Lithuarhythm〜リトアリズム」、今回はリトアニアの文化史において最も重要な人物の一人をご紹介します。

リトアニアを代表する芸術家Mikalojus Čiurlionisミカロユス・チュルリョーニスです。

ミカロユス・チュルリョーニスは、1875年ロシア帝国時代のヴィレナ近郊(現リトアニア南部)の貧しい教会オルガニストの家庭に生まれました。音楽家の長男として、9歳から支援者を得て音楽学校で勉強しはじめます。

1894年、ポーランドのワルシャワ音楽院に入学。ピアノを学んだのち1897年から作曲を学び、優秀な成績を収めました。その優秀さが評価され、1901年ライプツィヒ音楽院で作曲を学びました。

 ポーランドに戻ってからは、ワルシャワ美術学校で学び、1907年に第1回リトアニア美術展覧会を開催。

また美術の活動と並行して、リトアニアの民謡の発掘・編曲。リトアニアの芸術同盟やリトアニアの合唱協会など、リトアニアの文化組織団体を立ち上げるようになります。

 1908年からはロシアのサンクトペテルブルグに移住し、画家と交流しながら美術活動を行うも経済的に破綻。1909年に結婚したあと、精神を病みワルシャワの療養所に過ごします。闘病生活の中で作曲、描画は続けていましたが、1911年肺炎で生涯を終えます。36年の生涯、リトアニアが独立を果たす7年前のことでした。

 チュルリョーニスは、短い人生の中で約300点の絵画と約200点の楽曲を遺しました。美術作品の多くはカウナスにあるリトアニア国立チュルリョーニス美術館に保管されています。

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 音楽と美術、双方で活躍していたため色鮮やかな曲調が特徴的。リトアニアの自然や民謡からインスピレーションを受けたと思われる素朴さも感じられます。また絵画と音楽がセットで発表された作品を多数あります。 

 

ロシア帝国時代だった頃からのチュルリョーニスのリトアニアの文化に着手した活動は、リトアニアの人々にリトアニア人としてのアイデンティティを構築し、1918年の独立へ、また現在のリトアニア文化の礎となっています。特にリトアニアでの複数の合唱団の設立、合唱協会の立ち上げは、およびリトアニア民謡の発掘と編曲は人々に合唱が普及する大きなきっかけとなったのではないでしょうか。こうしたチュルリョーニスの合唱活動は、多くの教会音楽家た引き継がれていきます。

チュルリョーニスの具体的な作品や詳しい情報はまた別の記事で取り上げるとします。お楽しみに。

今回はこのあたりで、Viso gero!



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